パリオリンピックで日本が銅メダル獲得!近代馬術の歴史とその進化

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はじめに

2024年7月29日、パリオリンピックの総合馬術団体競技で日本代表チームが銅メダルを獲得しました。この快挙は日本の馬術競技において92年ぶりのメダル獲得となり、団体種目では初のメダルです。この歴史的な瞬間を機に、近代馬術の歴史を振り返ってみましょう。

1. 古代の馬術

古代ギリシャとローマ

馬術の歴史は、紀元前1400年頃のヒッタイトにまで遡ります。ヒッタイトのキックリによって書かれた馬術書は、戦闘用に馬を調教し、飼養管理する方法を記しており、最古の馬術書とされています。紀元前400年頃、古代ギリシャのクセノポンが馬術書を記しました。彼の著作は、馬が主人を信頼するように調教する方法を述べており、その内容は現代でも通用します

中世ヨーロッパ

ヨーロッパ中世の騎士たちも馬術を重視しました。重い甲冑を身にまとい、戦場で馬を操る技術は騎士の必須スキルでした。しかし、火器の発達により重い甲冑は廃れ、馬術も変化していきました

2. ルネサンス期の再評価

イタリアの影響

ルネサンス期に入ると、古代ギリシャの馬術が再評価されました。特にイタリアでは、クセノポンの教えが復興し、馬術が芸術としても認識されるようになりました

フランソワ・ロビション・ド・ラ・ゲリニエール

18世紀フランスのフランソワ・ロビション・ド・ラ・ゲリニエールは、馬術の技術を集大成し、「近代馬術の父」と呼ばれるようになりました。彼の教えは、現在の馬術の基礎となっています

3. 近代馬術の発展

軍事からスポーツへ

19世紀に入ると、馬術は軍事訓練からスポーツへと変化していきました。特にヨーロッパでは、乗馬クラブが設立され、競技としての馬術が普及しました

オリンピック競技としての馬術

馬術が初めて近代オリンピックに登場したのは1900年のパリオリンピックです。この時、パリ市内のブルトゥイユ広場で5種目が実施されました。その後、馬術はオリンピックの正式競技として定着し、現在では馬場馬術、障害馬術、総合馬術の3種目が行われています

4. 日本における馬術の歴史

古代から中世

日本には4世紀末頃に中国大陸から騎馬の風習が伝わり、6世紀には広まりました。鎌倉時代や室町時代には、武芸の一つとして「弓馬の術」が盛んになり、諸流派が生まれました

明治時代の改革

明治時代に入ると、明治政府は兵制の改革を行い、洋式馬術を導入しました。これにより、日本の古くからの馬術は廃れ、洋式馬術が主流となりました

近代の発展

1932年のロサンゼルスオリンピックでは、アメリカ、日本、メキシコ、スウェーデンから11人が出場し、完走できたのは5人だけという過酷な障害飛越を西竹一選手とウラヌスのコンビで金メダルを獲得しました。これは日本の馬術競技における最初の五輪メダルとなり、その後の日本馬術の発展に大きく寄与しました

また日本代表チームの主将の城戸俊三選手が愛馬「久軍」と参加した総合馬術競技耐久決勝戦は、山野を32.29kmの中を50の障害を越える厳しい競技でした。城戸選手はほぼ全コースを順調に進んでいましたが、最後の障害を目前にして愛馬の疲労を感じ、下馬して棄権しました。城戸選手は愛馬の命を守るためにその決断をしました。この協議も大いに話題になりました。

JRA馬事公苑の役割

JRA馬事公苑は、昭和15年に設立され、馬事の普及や馬術の振興、騎手の養成を主業務としています。昭和39年の東京オリンピックでは馬場馬術競技が開催され、現在も日本の馬術競技の拠点としての役割を担っています

東京2020オリンピックの馬術競技

日本代表チームは、総合馬術団体で4位に入賞しました。特に戸本一真選手が個人で4位に入賞し、次回のオリンピックへの期待が高まりました。また、馬場馬術では、法華津寛選手が8位に入賞し、その技術の高さを示しました。東京2020オリンピックでは、JRA馬事公苑が馬術競技会場として使用されました。これにより、日本の馬術競技は再び世界の注目を集めました

パリオリンピック2024での日本の快挙

今回のパリオリンピックでの日本チームの銅メダル獲得は、日本馬術の長い歴史の中で最も輝かしい瞬競技の展開は以下の通りでした:

  1. 2日目のクロスカントリー競技後、日本チームは3位につけていました
  2. 最終日の障害馬術競技前に行われた馬体検査で、北島隆三選手の馬がクリアできず、20点の減点を受けました。これにより、日本チームは一時5位に後退しました
  3. 最終種目の障害馬術で、日本チームは見事に巻き返しを果たしました。北島選手に代わって田中利幸選手が出場し、戸本一真選手、大岩義明選手と共に素晴らしい騎乗を披露。最終的に3位を確保して銅メダルを獲得しました

日本チームのメンバーは、大岩義明選手とグラフトンストリート号、戸本一真選手とヴィンシー号、北島隆三選手とセカティンカ号、リザーブ田中利幸選手ジェファーソン号で構成されていました。総合馬術は、馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術の3種目から成り、3日間にわたって行われる競技です。今回の結果は、日本チームの粘り強さと高い技術力、そして団結力を示すものとなりました。この銅メダル獲得は、1932年のロサンゼルス大会で西竹一選手(愛称バロン西)とウラヌス号が個人種目で金メダルを獲得して以来の快挙であり、団体でのメダル獲得は初めてのことです。

6. まとめ

近代馬術の歴史は、古代の騎馬技術から始まり、ルネサンス期の再評価を経て、現在のスポーツとしての形に進化してきました。日本においても、古代から続く馬術の伝統が明治時代の改革を経て近代化され、現在に至るまで発展を続けています。馬術は、単なるスポーツ競技ではなく、人と馬との深い信頼関係を築く芸術でもあります。これからもその魅力は多くの人々を引きつけ続けることでしょう。

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